著者は戦前、戦中、戦後と苦労した。 貸本屋から図書館、古本屋、書店と経済的余裕と求める情報によって本を得る場所を変えていった。 多読で身に付く教養の基礎や評論家とのやり取りで見識を深めていった。 映画に関わる仕事を目指していた著者はついに映画出版社に就職する。 しかしプロのジャーナリストからは「アマチュアでよかったのに」と言われてしまう。地方の庶民視点がよいと言って注目されていたが、エリート知識人からはエリート知識人の穴を埋めるだけでよいと言われたのだ。 しかし著者はそれを乗り越える。 「七人の侍」の百姓の在り方がおかしいと考え、その証拠を探し出そうとする。必要な知識は自分で探すということだ。 面白い本とは、面白い考えを引き出す本である。試験対策の勉強ではないので基準がないが著者は様々な分野の本を読んでいる。
本の選び方では、まず店頭で手に取ってみる。そして数行でもいいから読んでみる。当たりハズレはあるが、博打ではない。本の選び方は確実に上達するからだ。 自分の興味のある分野の本でいい本はきっとある。ただしそれが有名な著者の本とは限らない。 図書館の本も良いが、俗にいう「くだらない本」はなかなか置いていないのが現状であるし、その方がよいと思う。 作家は資料としてたくさんの本を保有している。大作家になればなるほどその傾向が強い。小さな図書館が作れるくらいの量だ。
純文学と大衆文学は大雑把に分かれているらしいが、はっきりした区別があるわけではない。私にはその区別がわからない。 一応、純文学は芸術を目指すもの、大衆文学は娯楽のためのものであるらしい。両方満たすものもあるし時代と文化が変われば基準も変わるであろう。
名著とは何か。 片っ端から読んでいけば立派な教養人になれるかと言われれば疑わしいと答えざるを得ない。そもそも古典は読み辛い。そして時代背景も考慮しないといけない。さらに外国の本だとその国の文化も学ばないといけない。 どこまで行っても終わりがない。
今の学校教育では一応偏りなく様々な教科をまんべんなく教えているらしい。果たしてまんべんなくバランスのとれた教養人は出来上がるのか。疑わしい。
今という時代に生きているからには様々な問題を考える必要がある。評判の新刊書をどんどん読めばある程度はわかる。また昔では考えられなかったようなインターネットという便利なものが存在する。使わない手はない。
読書はとにかく孤独な営みになりやすい。本のタイトルは「独学でよかった」であり、著者は独学でよかったと思っている。しかし今の若者にそうしろとは言っていない。いい学校があればどんどん行くとよい。独学が無理な分野もある。 読書は好きな本を読むとよいが、少し背伸びして尊敬したい人になるように読むのもよい。前述した時代背景、外国の文化を知り視野を広めるために読む本も良い。
大人は若者が本を読んでいない、と言っている(らしい)。どこかで見た統計調査では若い人の方が年配者より読んでいるという結果だった(真偽は不明である。大規模な調査ではなかったから精度に欠ける)。若者は上からの詰め込み教育にウンザリしているだけなのではないか、というのが著者の疑問である。 実習本位の学校では創意工夫してぐんぐん成長しているらしい。
読書のもとになる知的好奇心は健在だと著者は考えているそうだ。